『富坂だより』 34号
 2014年12月



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  巻頭言
「クリスマスに思う」  
上山修平

 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(イザヤ9章1節)

 今年もクリスマスを迎えようとしています。色んな出来事があったこの一年。残念ながら、今年も人間の罪が多くの悲しみや苦しみ、そして絶望を生み出した年でした。しかし、そんな年の瀬に、最初のクリスマスの晩に神様が闇の中を歩む民に大いなる光を与えて下さったことを思う時、人間が起こす絶望は神様によって必ず打ち破られるのだということに思いは変えられて行くのです。

 「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」(ルカ2章15節)

聖書のクリスマス物語は、羊飼いたちが神様の示しに応えて動き出したことを伝えています。東方の博士たちも同じです。

「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(マタイ2章2節)

人間の起こした絶望状態が人間の手で回復できるかどうかは分かりません。しかし、神様がその回復に乗り出される時にそれは可能となります。その時に、人もまたそれに応えて動き出さなければならないことをこれらの箇所は教えています。死の陰の地に住む者の上に光が輝くのはそのような時でしょう。

 富坂キリスト教センターがこの世の社会問題に取り組んで行くとき、この最初のクリスマスの夜に示されたことを忘れてはならないと思います。諸問題に取り組む人々は大勢おられ、その取り組み方も多様にあると思います。御旨の実現のために自由に働かれる神様はそれら全てを御心のままに用いられるお方です。そうであるからこそ、当センターは聖書の御言葉に聞くことを大事にしながら諸問題にあたり、この神を見つめる中から与えられる希望の道を指し示していかなければなりません。その時にこそ、センターに託された地の塩・世の光としての役割がこれからも果たされていくのではないでしょうか。

(うえやま しゅうへい/センター運営委員・ 日本キリスト教会横浜海岸教会牧師)




 
財団理事およびTCC運営委員長を辞するにあたって
武田武長

 私が富坂キリスト教センター(TCC)のキリスト教社会倫理に関する学際的共同研究会の一つにその一員として招かれ、初めてTCCの活動に参加したのはもう27年前のことである(その共同研究の成果は『エコロジーとキリスト教』1993年)。引き続いて「戦後50年のドイツの教会と社会」研究会には非常勤主事として携わった(その共同研究の成果は『戦後ドイツの光と影』1995年)。その間にTCCのもうひとつの活動の共同牧会研修会にも参加する経験も与えられた。こうして言わばTCCの活動の現場に参与する機会をとおしてTCCの歴史を内側から知るようになった。

 思いがけないことであったが、私は旧TCC理事会にDOAM(ドイツ東アジアミッション)選出理事の一人に任ぜられ、その後は佐竹明、村上伸両理事長に続いて理事長としてTCCの責任を負うこととなった。私は佐竹・村上両理事長のTCC創設以来の活動を敬意をもって継承することに専心すると同時に、長い間懸案となっていたかつてのOAM(東アジアミッション)の日本における遺産としての財団法人とTCCの一体化を、WCC(世界教会協議会)の宣教神学的決断(「ニューデリー原則」)に従って、遂行する課題に全力を傾注することとなった。当時TCC理事長でありつつ同時に財団法人基督教イーストエイジャミッションの理事となった私は、その間両理事会に責任的に係わりつつ自分自身が謂わば二つに引き裂かれている状態であったが、私の心情はあのエーリヒ・ケストナーの作品『ふたりのロッテ』のそれであった(父と二人だけで生活してきた娘と、母と二人だけで生活してきた娘とが、ある時ある所で偶然出会って、自分たちが双子であることを知ったとき、ふたりは自分たちの父と母を再び結び合わせる決意をする)。

 2009年の合同協議会において、DOAM代表とSOAM(スイス東アジアミッション)代表は、かつてのOAMの日本における遺産を、その分割し得ぬ一体性において法的に完全に「日本のキリスト者の手に移譲」し、旧財団と旧TCCをして「寄付行為」に替わる新しい「定款」を主体的に策定させ、新しい公益財団法人として再出発させ、真に対等なエキュメニカルなパートナーたらしめる決断をした。

 旧TCC理事会はその理事会体制を自ら解消し、TCCが財団の一事業部門として自らを位置づけ、その一体化が成就し、私のDOAM選出理事としての使命は終った故に、私は、つとにその決意を表明していた通り、公益財団法人への移行一期目の任期二年をもって理事を辞任し、TCCの運営委員長をも辞任することとなった。

 今、日本のキリスト者たちに問われていることは、かつてのOAMの日本にある遺産を託されるに相応しくあるか否か、であると思わずにおれない。

(たけだ たけひさ/前法人理事・前TCC運営委員)





就任のご挨拶

秋山眞兄

 このたび、武田武長先生が富坂キリスト教センター運営委員長を辞任なされたため、その後任を引き受けることになりました。これまでのセンター運営責任者は皆さん神学者でしたが、私はその分野には疎いものでしかありません。現在の建物が未だなく、プレハブのような建物のときに出入りを始めたことが切掛けで、その後、請われるままにセンター理事、公益財団法人評議員、そしてあらためて財団理事となりセンターの運営責任を担うことになってしまったという思いです。

 そのようなことでお引き受けすることになりましたが、センター設立の目的とこれまでの積み重ねを大切にしつつ、昨今の国内外の社会倫理が急激かつあらゆる分野で崩壊しているという惨状を踏まえて、センターの活動を充実させることが課題だと思っております。その為にはご意見、ご提案を頂戴することを始め、皆様からのご支援・ご協力なくしては困難であると思っております。どうか宜しくお願いいたします。

(あきやま なおえ/法人理事・TCC運営委員長)




行き詰った壁の下にトンネルを掘る書
書評『行き詰まりの先にあるもの〜ディアコニアの現場から』

高橋卓志

 いままで多くの死を視てきた。死は巨大な負のボリュームを持って姿を顕す。その現場にぼくは「あえて」立った。生死の境に駆り立てられる自分があったからだ。南太平洋で戦死した人々の遺骨を拾い、チェルノブイリ事故の晩発障害に苦しむ子どもたちのベッドサイドで涙を流し、エイズの末期患者を収容するタイの寺で、なすすべなく立ちすくんだ。南相馬の海岸では、がれきに埋もれた被災者の遺体を洗い、女川では、津波に抗しきれず、幼い子どもの手を放してしまった母親の限りない悔恨と絶望に付き添った。

 それらはすべて生々しい生と死の現場だった。そこでは、苦しみや悲しみのきわみに在る人々のまなざしに射ぬかれ、問い詰められるような思いを味わった。そこはぼくの限界が視える場所であるとともに、坊さんとして絶対に逃げてはいけない場所だと思った。だから自らを追い込んだ。

 仏教は「四門出遊」という逸話から、生・老・病・死にまつわる「苦」に対する釈尊の「目覚め」を語り、そこが教えの起点となっている。だから仏教はそういった起点を重視したうえで、膨大な教義に基く修行、生きる意味を思考し追及する哲学、そして「四苦」を解消・緩和する実践が一体となり機能してきた。それに対して人々は信頼を寄せた。しかし近年の伝統仏教は、ほぼ完ぺきにその機能と連携を失っている。

 その理由のひとつは、教えをアウトプットすべき坊さんの世襲だ。寺が「家業」となってしまったのである。家業化は仏教が持つ「戒律」を破壊し、社会的視野を狭くし、金銭に汚くなる。しかもそのことをほとんどの僧侶は感じていない。これでは人々の信頼を得られない。存在感、有用感など沸きあがるわけはない。「行き詰まり」どころではなく、「消滅」へのカウントダウンが始まっているとしか思えない。

 そんなときぼくは富坂キリスト教センター(編)『行き詰まりの先にあるもの』に出会った。ここに登場する事例は一貫して「現場」から吸い上げられた実践活動だ。そこには、悩みながら、苦しみながら、もがきながら「共苦」の現場に立とうとするキリスト者の姿が見られた。「共苦」は寺や教会の中におさまっていては絶対に体感できない。たとえば、高座で信徒を前に説教をする役割を持つ人がいる。だが彼らの説教は「神は」「仏は」という主語を多用し、時代錯誤の毒にも薬にもならないものとしてしか聞こえない。なぜ、主語を「私」にしないのか。「私は〜こう考える」という切り口で、自分自身の現場体験を踏まえた話に展開していかないのか。そもそも、高座の説教者が生きるまわりの社会は神や仏のありがたい話など、ほんのわずかしか必要としないのだということを説教者自身がわかっていない。

 一方、貧困の中で明日への希望を持てず、病の痛みに苛まれ、老いの喪失感に苦しみ、死に逝く悲しみに覆われた人々のまなざしに射ぬかれ、呆然と立ちすくむところから、この書にかかわる人々の活動は始まっている。「苦」の中にある人々との出会いと、それに伴うとてつもなく手間のかかる作業のありさまを、ぼくはこの書の中に見た。そして、そのことを「ディアコニア」と言うことを初めて知った。

 世界宗教はいま、原理的であるがゆえに先鋭かつ反動的な動きをするものと、教条的ではあるが、平気で教えに背き、怠惰で地に落ちたものとの2極化が見られる。この狭間を埋めるもの、つまり教えを外さず、かといって教えに依存するのではなく、社会に普通に存在する、だが見えにくい「苦」を見つけ出し、すんなりとかかわる融通性を持つ活動が必要だとぼくは思う。

 社会における「苦」を宗教者自らが現場で感じ取り、「共苦」として自分の身に取り込み、実践に移す――この書はそれを語っている。ホンモノの「ディアコニア」を体感でき、行き詰まった壁の下にトンネルを掘ってスルリと通り過ぎる方法を伝授するすぐれものだ。
 

(たかはし たくし/松本市 神宮寺住職)




「脱原発社会と未来世代への責任」研究会報告
  内藤新吾

 既にこれまで五人のメンバーと、他にも宗教界からゲストを二人お迎えし、毎回大へん貴重な発題をいただいています。それらは順次、センター発行『紀要』に掲載されていますが、未発行分の二回の発題について少しだけ紹介させていただきます。

 最初のほうの発題は、7月に、「だまして進める高レベル放射性廃棄物処分場〜私たちが体験している岐阜県瑞浪超深地層研究所問題」と題して、岐阜県にお住まいの兼松秀代さんよりお話をいただきました。兼松さんはこの問題に出会われるまでは、ごく普通の主婦のお一人でした。しかしチェルノブイリ原発事故後の市民活動をされるなかで、東濃の高レベル放射性廃棄物地層処分研究の計画が浮上していることを知り、以来、地域の方々とこれを阻止すべく闘ってこられました。「核のゴミ」の問題は非常に重要なテーマであり、専門的なことでは原子力資料情報室の共同代表のお一人である山口幸夫さんにも入っていただいていますが、ぜひとも現場の市民活動でこの問題に深く関わっておられる方からもお話をいただきたいと、加わっていただきました。

 兼松さんの発題の詳しい内容は、『紀要』に記載されるところに譲りますが、お聞きして改めてつくづく思ったのは、国のやり方とは、受け入れが嫌がられる迷惑施設の予定地には貧しい地域を選び、最初は本当の目的も告げず、秘かに調査等を進め、そしてあるときいきなり発表をし、やがて受け入れざるを得ないような飴と鞭の使い分けで議会に承諾をさせていくという、住民不在の、そして福島における石原環境大臣(当時)の言葉にも表われているような、金銭で解決を図るという恥かしい手法だということです。それにしても、岐阜の東濃では、ボーリングによる広域地下水流動調査で地下研究所施設の準備をしながら、9年間も地元の住民や議会に事業目的を隠していたとは、本当にゆるせないやり方です。お金で迷惑施設をどこかに受け入れさせ、何万年と続く猛烈な放射能を、大量に、しかも未熟な技術で、目に見えない場所に隠して終わろうとする貧困な倫理観を、私たちは断固、認めることはできません。

 さて、もうお一方の発題は、10月に、「福島原発事故の医学的な問題」と題して、小児科医で八王子中央診療所理事長、また「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表の山田真さんよりお話をいただきました。山田さんは前々から、この国には放射線の低線量被曝・内部被曝に関する専門研究者は、広島で被爆者の治療にあたられてきた肥田舜太郎医師やごく限られた方以外には、殆どいない、政府が推す学者たちも、その著書などを見ても、いま世界で注目されてきている新しい知見を知らないままである、と言われます。この日も私たちは、そうした方々の資料を確認しました。そしてつい最近の出来事として、8月17日に政府が大手新聞各紙に全国一斉で載せた、放射線に関しての安全広報がひどすぎる内容であることを、静かながらも怒りと悲しみをもって紹介されました。こうした放射線に関する甘い認識のもとになっているのは、ABCC(原爆傷害調査委員会)が原爆投下の2km以内であったか以遠であったかで放射線影響の有無を分け、比較対象とした非常に乱暴で恣意的な統計の扱いに基づくものであり、それは放射線の影響を小さく見せるためであったこと、それに基づきICRP(国際放射線防護委員会)も政府の御用学者も動いているが、それでは原発事故後の子どもたちの健康の保障はできないと言います。また8月24日に発表された福島県内の18歳以下の甲状腺ガンの児童数についても、国県は原発事故による放射線影響をともかく否定しようとするが、それは根拠が乏し過ぎること、チェルノブイリ原発事故後の例をみても、もっと慎重に経過を見ていくべきであるとしました。権力に騙されない、いのちを守るためのしっかりとした視点を、私たちは持っていかなければならないことを再確認しました。

(ないとう しんご/日本福音ルーテル稔台教会牧師)  




「沖縄における性暴力と軍事主義」研究会報告

山下明子 

   4月に初回の研究会で全員の顔合わせと研究方法についての討論をし、7月の沖縄で実質的な研究会がスタートしました。

 1日目は那覇市の教育福祉会館で、高里鈴代さんが「<沖縄戦と日本軍「慰安婦」展>の背景と意義を再考する」の報告をされました。2012年に那覇市歴史博物館で<沖縄戦と日本軍「慰安婦」展>を開催し、12日間で1800人余と、開館以来一日当たり最多の入場者数を記録したそうです。展示内容に刺激されて、沖縄の慰安所についての新たな情報も多数寄せられました。このパネル展に至った背景と意義、とくに確認されているだけで144箇所もの慰安所が1年間という短期間になぜ沖縄に作られたかが報告の中心でした。日本軍性奴隷制を考える上で非常に重要な内容です。

 2日目は、宮城晴美さんの故郷である座間味島でフィールドワークをしました。「集団自決」体験者の宮里洋子さんも同行されました。慶良間諸島は沖縄で最初に米軍が上陸した所で、座間味島では1945年3月26日に、渡嘉敷島では28日に住民の「集団自決」が起きています。日本軍は1944年に慶良間諸島に陸軍の特攻艇部隊を配置し、朝鮮人軍夫を含めて数千人の日本軍部隊を駐屯させました。また、座間味島に7人、阿嘉島に7人、渡嘉敷島に7人、合計21人の朝鮮人「慰安婦」を慶良間に送り込んで、軍隊慰安所を作りました。当研究員でもある川田文子さんの『赤瓦の家 朝鮮から来た従軍慰安婦』のペポンギさんもこの一人です。源氏名だけが知られている21人の朝鮮の少女と女性たちの消息はペポンギさんを除いて不明のままです。

 両内容については、富坂キリスト教センターで10月に行われた第3回研究会の夜の公開セミナーにおいて、高里さんが「日本軍慰安所と米軍の暴力 沖縄から問う」として、また宮城さんが「『集団自決』にみる軍隊と性〜二分された女性たち〜」としてパワーポイントを使って詳細に報告されました。

 第3回は前回の現地研究で身にしみて知った言葉にならない思いを深める方向になりました。

 1日目の さんの「ヘイトスピーチと心的外傷〜植民地支配、戦争、性暴力、グローバル化〜」は、沖縄戦体験者のトラウマと在日「朝鮮人」のトラウマ、民族差別と性暴力のトラウマの類似性を考える内容でした。ご自身の体験を踏まえながら、ヘイトスピーチの害悪を明らかにするには、長い沈黙を強いられた後にPTSDなどを発症する犠牲者の、ヘイトスピーチ以前の経験、構造的に「見えない被害」を明らかにする必要があるとの考察です。社会的なマイノリティは被害を自覚して声をあげることがむつかしく、コミュニケーションがとれません。そこで、ヘイトスピーチの害悪を検証し、かつ「以前の経験」による心の傷をどのように識別し、評価すればいいのかが課題になります。

 討論の中で、沖縄ではオスプレイがこのようなヘイトスピーチにあたるとの指摘がありました。沖縄の場合について、2015年2月の第4回研究会で深めることになりました。

 2日目は、秋林こずえさんが「軍事主義を許さない国際女性ネットワーク」について報告されました。この「ネットワーク」は1995年の第4回世界女性会議および高里さんが共同代表の「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」のアメリカ・ピース・キャラバンを契機に、1997年に発足しています。参加地域は、沖縄、日本、フィリピン、韓国、米国本土、さらにプエルトリコとハワイが後から加わっています。環太平洋のつながりですが、海軍の軍事戦略として弱くて盗りやすい島が基地にされている現実に対して、ジェンダーの視点から安全保障を再定義し、安全保障の脱軍事化をはかり、脱植民地の視点で考えることを目的としています。

 それぞれの地域の現状と困難など、情報共有が中心の報告でしたが、私たちの研究会のつながりが広がりました。今後が楽しみです。

(やました あきこ/富坂キリスト教センター運営委員)   






学寮の生活

カロリーナ・スメンダ【Karolina Smenda】と
クリストフ・スメンダ【Krzystof Smenda】(ポーランド出身)

 東京で留学することは、私たちにとっては非常に大切な期間で、山上国際学寮に住んだことは、私たちにとって一番幸せな時でした。東京に来た時、最初は住むところがなくて、確かに不安を感じましたが、山上国際学寮に部屋を借りて、岡田さんにはたくさん相談に乗ってもらい、すぐ新しい環境に慣れました。しかし、まだ日本語が下手で、新しい友達ができないで、ずっと二人でいることは不安でした。けれども、山上国際学寮に住み始めて、友達がたくさんできて、みんながやさしくしてくれて、うれしかったです。小石川の住まいはとても便利で、大学に自転車で行けました。私たちはこの場所に住むのが好きでした。よく散歩して、写真もたくさん撮っていました。小石川での幸せな日々が私たちの記憶に残っています。

 留学する前に、もちろん、日本学科の学生として毎日日本語を勉強していましたが、日常生活で日本語を使うことになったのは東京に住んでからです。本当に貴重な経験になりました。何か問題があったら、自分の日本語能力でその問題を解決することがとても役に立ちました。また岡田やす子さんは親切で、明るい方だから、不安なことがあったらいつも相談できました。

 留学生は研究をするために日本に来ますが、留学の生活は勉強だけではありません。友達作りも大切です。山上国際学寮で作った友達がたくさんいました:チェコのペトラさん、日本の安田さん、ブラジルのニコさん、スイスのアンゼルムさん、中国のリンさん…時々キッチンで集まって、一緒においしい食べ物を作って、いろいろなテーマで話をして、とても楽しかったです。

 山上国際学寮の所長のおかげで初めて生け花や琴をやってみました。本当に楽しいワークショップでした。ワークショップの先生たちの説明はいつもとても簡単で、わかりやすかったです。自分で作った生け花の写真を知り合いに見せました。山上国際学寮生たちと所長たちと一緒に旅行もしました。六月に鎌倉に行きました。坂東三十三箇所観音霊場の第四番札所である長谷寺を観光して、咲いているアジサイを鑑賞しました。わくわくしながら、坂に立ち、海を見下ろしました。

 先週ポーランドに戻って来ました。こちらでの生活はまだ落ち着きません。私たちの山上国際学寮の生活をなつかしく思っています。みんなともう一度あいたいです。東京に帰るという夢を実現させるために頑張ります。山上国際学寮でみんなととても楽しい時間をすごすできました。本当に素敵な一年間(と二ヶ月)でした。どうもありがとうございます。


山上国際学寮 プログラム 報告
6月
☆文化交流プログラム 鎌倉フィールドトリップ(ガイド:荒井仁牧師、15名参加)
☆寮生会
7月
☆国際理解プログラム 原爆被爆者の証言を聴く会(講師:木村徳子さん、23名参加)
☆文化交流プログラム 朝顔・ほおずき市^n5名参加、寮生会
9月
☆共同研究プログラム
   研究発表 Karolina Broma-Smenda/国紹介 Anselme Borgend dit Avccat
☆寮生会 14名参加
10月
☆市民公開セミナー(センター共催)
「沖縄における性暴力と『集団自決』―今、日本の軍事主義化を問う」
   (講師:里鈴代さん、宮城晴美さん) 27名参加
☆知念優幸さん(沖縄キリスト教学院大学生)を囲む交流会・寮生会 15名参加
   





富坂子どもの家より 各季節の活動報告から

<6月>(季節の製作)
 富坂子どもの家では、グループの午前中の自己活動の時間を大切にしています。そのひとつに季節感のある製作をやり方を紹介してから出します。園庭にたくさん咲いている紫陽花の製作が人気でした。「あじさい」の花のイメージがより具体的にわかりやすいように、本物のあじさいの花を見ながら、活動しました。具体物と抽象的な作品を見比べたり、実際の花のにおいをかいだり、花弁を触ったり、色の違いを感じたり、子どもひとりひとり感じ方は違います。

<8月>(プールはみんなの楽しみ)  午前中の自己活動やあつまりで充実した室内活動をそれぞれがしたあと、お弁当をいただいたらみんなの楽しみにしているプールです。毎日、お弁当から着替えてプールまで、同じ流れなので、大人に言われなくても自分でプールバックを着替えの場所に持ってきて着替えはじめます。今年は晴れの日が多く、連日プールに入れました。

(とうもろこしの収穫!)  園庭にとうもろこしを植えました。種まきから子どもたちと一緒に行い、水やり、実がついになりました。あつまりや自己活動でお店に売っている皮付きのとうもろこしの皮をむく活動は慣れている子どもたちですが、畑にニョキッと立っているとうもろこしからの収穫は、どきどきしたようです。上手に皮をむき、お家でゆでて、味見したとのことです。そのほか、ミニトマト、ナス、ゴーヤ、キュウリといった野菜を育てて、子どもたちと収穫しました。

<10月>(親子グループ)  お日様のぽかぽか暖かい日差しに守られ、親子グループで、園庭で遊びました。シャボン玉をしたり、様々な笛などを紹介したり、口腔機能の向上のアイデアを共有しています。 (文責・編集部)

 





 富坂キリスト教センター2号館は、教育や福祉に関連する様々な市民団体やNPO団体が活動拠点としています。今回は「日本モンテッソーリ協会(学会)」をご紹介します。

 イタリヤにおける最初の女性にとしての医学博士の1人であるマリア・モンテッソーリ(右写真・1870−1952)が1907年にローマのサン・ロレンツォ街に最初の「子どもの家(Casa dei Bambini)」を設立し、知的障害児の治療教育の成果を基礎にして、一般の教育、特に幼児教育の方法を確立し、子どもの科学的な観察にもとづくモンテッソーリ教育を提唱し、その後その理念に基づいた教育実践活動は世界中に拡がりました。

 その具体的な教育方法は、「…例えば、幼児は自分の身体を使って活動し、自分の思い通りに身体や指先を動かし活動したいという強い欲求を持っています。『日常生活の練習』では、子どもは自由に教材を選び、好きなだけ活動を繰り返すことにより、1人でできるようになることが援助されます。同様に、『感覚教育』では幼児の視覚、聴覚、嗅覚、味覚に訴えながら感覚教具によって感覚器官を洗練することがめざされ、幼児の人格の基礎をなす心身の秩序観を形成するための援助が行われます…(同会ウェブサイトより)」等と紹介されています。

 同会は日本国内においてモンテッソーリ教育を研究・実践する日本モンテッソーリ協会(学会)として1968年に発足しました。国内において乳幼児教育・保育に関心のある方なら、どなたでも入会可能。詳しくはwebサイトwww.montessori-jp.orgをご覧ください。

<連絡先>
日本モンテッソーリ協会(学会)事務局
 東京都文京区小石川2-17-41 富坂キリスト教センター2号館内
 TEL&FAX 03-3814-8308     (文責・編集部)




第2回沖縄宣教研究所・富坂キリスト教センター 共同研修会のご案内

三村 修

2013年、沖縄宣教研究所と富坂キリスト教センターによる共同研修会が沖縄で開催されました。私は、富坂側からの実行委員の一人として、準備と全体の進行に関わらせていただきました。

 私にとっては、沖縄に行く、ということだけでも緊張が伴います。結果として、「教派を超えた交わり、学びの機会が持てた、今後も継続してほしい」という声を参加者からいただいたことは、慰めと励ましでした。ありがとうございます。

 2014年3月に沖縄宣教研究所と富坂キリスト教センターの協議会がもたれ、第2回共同研修会の開催を下記の通り決定しました。

 その一方、第1回研修会との間が2年近く開くことになるので、第1回研修会に、沖縄県外から参加した人たちによる集会を東京で持てないだろうか、と実行委員会は考え、6月に、沖縄研修富坂リトリートを、富坂キリスト教センターを会場にして開催し、第1回研修会の振り返りと展望の時を持ちました。

 リトリートの中で私たちは、自分たち自身の気持ちを再確認しました。「沖縄との間で共感できる関係を築きたい」「悔い改めを本当に行いたい」「平和に仕える教会形成をしたい」「聖書や教会のもっている暴力性を明らかにしてゆきたい」「神の国の実現に参与したい」。それは、一言でいうなら、「沖縄の人たちと共に平和を実現する者となりたい」という思いです。

 「『日本が終わる』のか、それとも『パラダイム転換が起きる』のか、という分かれ道に私たちは今立っている。」「私たちがあきらめることなく、語りつづけ、それぞれの足もとでの行動を続けるための力となる学びと出会いの機会が大切だ」とリトリート参加者たちは考えました。

 第2回研修会では、第一回の研修会参加者のその後の歩みを分かち合い、第2回目から新しく参加する方々を加えながら、第1回目の研修内容をさらに深めてゆきたい、と願っています。出会いと学び、そしてつながりを育む研修会に、ふるってご参加ください。

                 記

112-0002 東京都文京区小石川 2-9-4 CEAM財団 富坂キリスト教センター
Tel: 03-3812-3852 Fax: 03-3817-7255 メールでのお問い合わせはこちらまで