『富坂だより』 13号
2004年7月

特集:第6回 富坂セミナー

【目 次】

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オウムからの問い、オウムへの問い
(『あなたはどんな修行をしたのですか?』表紙より)




巻頭言

和解のための平和教育を

石井 摩耶子

先日、北海道の真駒内に行ってきた。6 月の空は澄み渡り空気はさわやかでラベンダーの深い紫が目にしみた。「『帝国』へのオルターナティヴ」というテーマで日本平和学会の研究大会が開かれ、熱い議論が交わされたが、最後のセッションで高校の先生から「ずっと聞いてきたが最後まで具体的なオルターナティヴを提示する報告がなくて失望した」との発言があり、そのことが今も私の脳裏を離れない。非暴力抵抗のあり方を考え続け、学生たちにもそれを語っている私ではあるが、具体的なオルターナティヴを提示する努力を怠っていることを反省させられた。

3年前の9・11事件以後の世界は、狂ってしまったとしか言いようがない。ブッシュ米大統領の異常なほど神がかった「邪悪なもの」への対決姿勢、人々を敵と味方との二項対立で見ていく単純極まりない人間観と、軍事力に物を言わせて「敵=悪」を制裁しようとする強硬姿勢をむしろ支持する者たちが多い現実、そうしたブッシュにひたすら追随する小泉政権、苦難の中にいるイラクの人々のためにボランティア活動をする若者に向けられた日本社会からのバッシングの嵐は、まるでアジア太平洋戦争下の日本のようだ。

厳しい現実から目をそらさないで見つめる勇気を持つ若者が育つことを願うが、その反面で、現実の酷さをひたすら暴くだけでは、若者を無力感に追いやるだけではないか。どんな場合にも必ず潜んでいるオルターナティヴの芽を見出し模索することが今求められている。富坂の共同研究プロジェクトで韓国の池明観氏らと一緒に中国・ロシア、そして北朝鮮からの参加者も得て、東北アジアの和解の実現のための会合を持てた日々のことを思い返す。このような出会いの場を作ることもその一歩だろう。十字架によって敵意を滅ぼし、人間を神と和解させて下さったイエスに従う私たちには、どんなに厳しい状況にあっても希望がある。人と人、人と自然の和解の実現のために歩み続けたい。

(いしいまやこ・TCC理事)




富坂セミナー報告

 
『あなたはどんな修行をしたのですか?』オウムからの問い、オウムへの問い

研究会発足より5年、ついに出版なる
志村 真


1999年5月発足の「新宗教運動研究会」は、研究成果の公刊までの秘密保持ということもあって、上記の名称を用いていました。すでに、研究会は終わっていますので、今さら名称変更はできませんが、担当主事の心の中では常に変わらず「オウム真理教問題研究会」でした。

さて、本研究会では99年5月から02年8月まで、計10回の研究会を重ねてきましたが、最終日から1年4ヶ月を経て、ようやく成果を公にすることができました。多忙を極めておられる研究員の方々でしたが、ついには全員が原稿をくださり、図らずも麻原彰晃氏第一審判決の時期に出版することができました。気付かれた方もおりますが、判決の日をあえて刊行日といたしました。

それ以来、読者の方々から感想をいただいたり、多くはありませんが「書評」に取り上げていただきましたので、一部紹介したいと思います。読者の代表格となると思いますが、滝本太郎弁護士が個人HP上でいち早く感想を書いてくださいました。また、幾人かがメールなどで感想を寄せてくださいました。その内お二人が、キリスト教の終末論と麻原のそれとを「文体論」から対比させて論じた寺園論文を評価してくださいました。さらには、幸座長が巻頭論文で、「死刑制度廃止」という「全世界的流れ」について言及されているのはとてもフェアであった、との感想もいただいています。

本書の購読者には、現役や元信者を持つご家族の方々が多く含まれていますが、オウム真理教のヨーガ論とヒンドゥー教のタントリズムのそれとを比較した島論文や、ロシアやオーストラリアでのオウムを跡付けたカバノフ、レップ論文について、大変参考になる、と言っていただきました。

本書への批判としては、小生作成の「年表」に若干の間違いがあることと、サイトからの引用に関して「注意」をいただきましたが、その方にはお返事をお送りし、ご了解いただきました。(「年表」の訂正は、増刷のあかつきには、最近の動きの追加執筆とあわせて、必ず行いたいと思います。)また、麻原彰晃氏の生い立ちについて分析する際、どうしても盲学校時代のことに触れることになりますが、視覚障害者への配慮を求める意見をいただきました。

なお、オウム真理教関連の図書を網羅的に紹介している、HP「オウム真理教大研究・図書室」 (http://www001.upp.so-net.ne.jp/arti/BOOK/AUMBOOK.htm)からは、「推薦」をいただきましたが、これはオウム真理教関連サイトの決定版とも言えるページですので、大変嬉しく思っています。

(しむらまこと・新宗教運動研究会主事)




出版記念講演会

江川紹子と野田正彰が語る
『あなたはどんな修行をしたのですか?』―オウムからの問い、オウムへの問い―

    『あなたはどんな修行をしたのですか?』―オウムからの問い、オウムへの問い―の出版記念講演会は、6月12日(土)午後4時30分から、京都市上京区の NCC宗教研究所にて行なわれました。参加者約100名。これは、富坂キリスト教センターとNCC宗教研究所との共催として行なわれ、本を出版した新教出版社から後援をいただきました。

    まず、研究会の座長であるNCC宗教研究所の幸日出男前所長があいさつ。共同研究を進めてきたNCC宗教研究所と富坂キリスト教センター(TCC)それぞれの特質を紹介、そうした特質が今回の研究会の性格にも反映していると指摘されました。すなわち、キリスト教と社会倫理に関して学際的研究をすすめてきた TCCと、日本の諸宗教の研究と対話実践をすすめてきたNCC宗教研究所の持ち味が生かされた研究会であったということです。


江川紹子 「わたしの取材ノートから」

講演の第1はジャーナリストの江川紹子さんです。江川さんには、その日に京都であった別の講演会を済ませた後、急いで移動していただいての講演でした。そして、講演会後の夕食会にも最後までお付き合いいただき、心から感謝しております。

さて、ご講演ですが、江川さんは神奈川新聞の記者時代、霊感商法報道に関する抗議の電話で編集部が「電話ジャック」状態になったとき、担当デスクが言論の自由を妨害する者には決して屈してはならない、と励ましてくれたことを回想することから話し始められました。そして、霊感商法関連で坂本堤弁護士と知り合うようになり、ほとんど誰も手を付けていなかったときからオウムの取材をしてこられたことは衆知の通りです。以下、印象に残ったことを記します。

2月27日をはさんでの一連のニュースに関連して、これまで多くの死刑判決が出されているが、主犯である教祖の認定が先であるべきで、それを踏まえて副犯の判決がなされるべきである。しかし、現実は順序が逆になっている。

現代社会をデフォルメしたものがカルトであり、自己絶対化を伴った白黒二極思考という点で言うと、対イラク戦争時のブッシュ演説が、神を持ち出してアメリカの開戦を正当化していたのを聞いて、それは「あの人」が言っていたことと同じではないかと思った。

今の若い人たちと接していて、そして現在の社会を見ていて、麻原彰晃のような人はまた出てくるのではないか?と思う。けれども、そこで大切なことは、「麻原を二度と出すな」ではなく、「第二の麻原について行く者を減らすこと」ではないだろうか。オウムへの入信動機を取材して見ると、それは様々で、周りから見て問題のなさそうな人たちが吸収されていった。今の人たちも同様の問題に巻き込まれる可能性がある。

そのように語られたところで時間を気にしてくださり、江川さんは講演を終えられました。しかし、ここで提起されたいわゆる「カルト予防」の問題は宗教界、教育界のみならず、現在世界中で論議されているところですので、彼女がこの分野で取材を続けてくださり、具体的な提言を行ってくださることを期待したいと思います。


野田正彰 「オウムを生み、オウムに怒る私たち とは誰か?」  

続いて、本研究会メンバーでもあり、論文「教祖、信者、オウムを求めた社会」を執筆された、関西学院大学の野田正彰教授が大変密度の濃い講演をしてくださいました。日の丸、君が代の強制問題に関する著作を発表され、断固とした発言をしておられる野田教授にして可能な、責任主体を明確にする講演でした。ここでも私見ですが、論点の幾つかを紹介いたします。

1995年の一連の事件以来9年が経過した。新実智光が「一殺多生」と言ったとき、それは戦前の仏教界が戦争に協力するために生み出した論法そのものであった。「不殺生戒」を持つ仏教であったが、仏教教団のほとんどは安谷白雲や沢木興道らに代表される戦時教学を形成。「爆弾を投げる不殺生」などの言辞を生み出した。

他方、オウム以後の公教育における「宗教教育」の必要性についての議論を聞いていると、豊かな社会で育つ中で自己に意味を見出せない若者特有の空虚感をオウムは彼らの神秘体験で埋めようとしたのだが、体制は「愛国心=国家主義」や神社にその中心を持つような「宗教的情操」をそうした空虚感に注入しようとしていると考えられる。ここに、いかに歴史に学ぼうとしないのか、がはっきり現われている。

「宗教的情操」は、たとえば1928年の「天理研究会不敬事件」を経た宗教界がこぞって打ち出したものではなかったか。戦争責任を顧みるならば、宗教家こそもっともよく戦争に協力した者ではなかったか。それでは、こうした流れにあってどのように生きればよいのか。それには社会に対して問いかけ続けることが大切である。ここで、ペレストロイカ期のロシア政府の幹部が述べたことを思い出す。「近代においては国家こそが最大のテロ組織である。」ペレストロイカという大きな流れにあって、政府高官がこのような意識を保持していたことに個人の自立を見る。

危機の時代に空虚なものを一気に充填しようとすることに対峙するには、個人の自立、自立した判断こそが有効である。戦後制定された「教育基本法」の基本理念の一つは、個人の尊厳、自主精神であった。教育基本法の改悪が目論まれている今日、個人意識を大切にすることが求められている。戦争犯罪を裁けなかった日本がオウムを一律、死刑にしようとしている。これを見るにつけ、あたかも自らを死刑にしているのではないかと思えてならない。

参加者の中にはオウムの現役、元信者のご家族の姿もちらほらとみえ、江川さんのお人柄をにじませた講演には励まされた、との感想をいただきました。講演会に来てくださったご家族の方々の勇気に敬意を表し、感謝したいと思います。

(まとめ・志村真)




オウム真理教研究会と出版講演会に参加して

 宮井 里佳

2004年6月12日、『あなたはどんな修行をしたのですか?』―オウムからの問い、オウムへの問い―の出版記念講演会が行なわれた。江川紹子氏(ジャーナリスト)と研究会メンバーの一人である野田正彰氏とによる公開講演、そして江川氏と研究会メンバーとの座談会が行なわれ、研究会は終了した。

ここでは、一回を除くすべての研究会に参加させていただいた「オウム世代」の者として、感謝の意を込めつつ、きわめて私的な雑感を述べさせていただきたい。

研究会が始まったのは1999年、事件直後には連日TVや週刊誌などで報道、コメントされていたオウム真理教問題も、早くも言及されることが少なくなっていた。研究会は、宗教やその研究に関わる者、弁護士、ジャーナリスト、精神科医、外国人らさまざまな立場のメンバーを含み、討論を行なった。オウム事件を自己の問題として、あるいは日本社会全体の問題として真摯に考えなければならないのではないか、という問題意識が共有されていたように思う。そんな研究会の姿勢は、私には有難いものだった。というのは、「オウムに関わる(った)者は悪」、「オウムは宗教ではない」といった言説に対して、(事件・犯罪そのものが悪であることには疑問を持たないが)あまりに紋切り型ではないかと異を唱えることさえ憚られるような社会に、私は窮屈さを感じてきたのだ。さまざまな意見交換や思考過程をすっ飛ばして単純に是非を分別するような社会はおかしいのではないか、と。いろいろな意見を聞くこと、「私」の意見を言える(聞いてもらえる)ことは、非常に大切なことであるはずだ。他人の(まともな)思索にじっくりつきあうと、たとえそれが自分とは異なる見解であったとしても、それを受け容れ、敬意を抱くことができる。研究会では多く尊敬できる人と出会えて幸いだった。そして今、もう「若者」ではなくなり、否応なく社会のシステムに組み込まれつつある私は思う、多様な生き方や考え方を互いに肯定し合う社会――異質なものを排除する社会や(オウムのように)絶対的な導師に拙速に従う生き方とは逆のあり方――を求めて、今の私にできることは何だろうか。

(みやいりか)



書 評『あなたはどんな修行をしたのですか?』


【書評1】

『出版ダイジェスト』から  (2004年4月 電子版では、 (http://digest-pub.net/cgi-bin/shousai.cgi?id=11856)

…はたしてオウムとは何だったのか。

… はたしてオウムとは何だったのか。それはもう終わったのか。本書は、世界を震撼させたあの特異なカルト現象を、戦後日本の精神状況への問いとして受けとめる基本的なスタンスのもとに、野田正彰氏ら精神科医、宗教学者、ジャーナリスト、僧侶、牧師、法律家らが取り組んだ共同研究の成果である。読者は本書によって、オウムの教義とヨーガとの異同、オウム的終末論の特質、信者らの入信意識のありよう、さらに脱会者や家族たちの心のケアを通して見えてくる問題、またロシアやオーストラリアで勢力を伸張させた秘密など、多くの貴重な知見を得ることができる。さらに決定版ともいえる詳細な年表によって、オウム事件史を戦後史とを重ね合わせて透視することができるであろう。


【書評2】『熊本日日新聞』 (2004年2月28日「新生面」)から

浮くよりおりる方が難しい

… オウム真理教を研究した『あなたはどんな修行をしたのですか?』(NCC宗教研究所)という本の表紙が面白い。人気漫画家、山井教雄さんの作。空中に浮いている信者に大人たちが呼びかけている。「浮くよりおりる方が難しいんですよ」▼法廷で見た麻原教祖の態度も、宗教的な世界から現実に戻ることの困難さを示している。意味不明の言葉を発するだけの対応に追い込まれた姿に威厳はない。プライドの高い麻原教祖が、傍聴者の前で生き恥をさらす罪を受けているように見えた。その点は、今回の死刑判決よりつらいことかもしれない。▼ただし、りつ然としたのは、傍聴席には教祖の姿を尊敬のまなざしで見つめる信者もいたことだ。つくづく思う。浮くよりおりる方が難しい。(志村:これは、オウム真理教問題をもっとも初期から取材してきた『熊日』ならではのコラムだと思います。)


【書評3】滝本太郎弁護士ホーム・ページから (
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=140664&log=20040221

『あなたはどんな修行をしたのですか?』 

うーん、これはすごいです。…多方面からさまざまな論者、接触を持った方が書かれている。大変に貴重だと思います。 精神科医の野田正彰氏が、麻原さんの分析と、また一方で、「日本ファシズム下の仏教」の問題、山折哲雄さんの批判もしっかりしていたのには感心しました。そうなんですよね、あの頃、日本の仏教界は、『慈悲の殺生は菩薩の万行に勝る』なんていっていたのですよね。林久義さんの刑務所でのカウンセリング、志村牧師の家族らへのカウンセリングのことなども貴重です。さらに「第三部 海外のオウム」は、貴重な資料ですね。「ロシアにおけるオウム真理教」-29 ページ、「オーストラリアにおけるオウム真理教の活動」-18ページ、これは保存版だと。


【書評4】『クリスチャン新聞』(3月14日)から

なぜオウムに引かれたのか?祖判決の日に研究成果を刊行

… (オウム真理教事件は)既成宗教では若者が減る中でなぜオウムに多くの若者が引きつけられるのか、信教の自由とカルトの破壊的活動の規制、「ハルマゲドン」など聖書の用語を使った破滅的な終末論など、キリスト者にも見過せない問いを投げかけた。NCC宗教研究所と富坂キリスト教センターは3年間にわたる共同研究をまとめ、論集『あなたはどんな修行をしたのですか?』を出版した。…オウム事件が投げかけた重い問いを受け止め、教会・キリスト者としての答えを模索するとき、この本は問題の整理と思索の助けとなろう。






富坂キリスト教センターかいわい


■図書室

富坂キリスト教センター図書室は2号館奥の中庭に面した木造建築の中にあります。主として牧師からの献本による蔵書は6千冊で、国立国会図書館の日本十進分類法を使って整理されています。

文庫毎にラベルの色を変えてあります。赤ラベルの澤記念文庫には澤正彦先生が亡くなる直前に寄贈された2千冊のハングル図書があって、日韓キリスト教関係史の資料の宝庫となっています。緑ラベルのDOAM文庫には、ドイツ東亜伝道会が百年前にここ小石川の地に伝道し始めた頃の、ドイツ語の資料が収められています。黄ラベルの岸本文庫は岸本洋一先生が集められた台湾の基督教に関する日本語図書があります。また一般図書には神道や日本史や日本文学の本があって、天皇制研究会の資料になっています。

澤文庫とDOAM文庫と一般図書の文献目録がパソコンに入っています。一般公開はしていませんが、閲覧コピーはできます。時々大学院生が尋ねてきて、論文を書き上げたりしています。

閲覧希望の方は2号館事務室の山本まで前もって電話をしてください。閲覧時間は10-17時で土・日は休みです。飲食禁止、禁煙です。司書の松本は月・水・金の午後1-4時に在室します。レファレンスはメールでお願いします。

メールアドレスはBCF11754@nifty.comです。 世はあげてITの時代となり、電子書籍や電子メールによるレファレンスサービスが広まってきました。また一方で公文書保存の学問であるアーカイブズ学会が先日発足しました。TCC図書館が貴重な古い図書を保管すると同時に、新しい時代の要請にも答えられるようインターネットに参加していく方向を探りたいと思っています。

○ もし戦前の基督教書籍をお持ちでしたらぜひ寄贈をお願いします。また『福音と世界』の1985年と1986年版を手放すおつもりでしたらご一報下さい。

(TCC図書室司書 松本真実)

■国際の家

  1988年より、早稲田大学の交換留学生の宿舎として、当センターの1号館2階、3階、4階部分にシングルルーム12室、ダブルルーム6室、計24名の居住が可能となっております。現在、カナダ、イタリア、ロシア、韓国、中国、タイ、ブラジル、フランス等各国より来日しており、学部もさまざまです。皆さん日本語をマスターされての来日ですが、英語で授業の国際部研究科と、これから日本語を勉強する日本語センターの学生もおります。寮生の大半は、初めての日本、そして文化や習慣の違う諸外国の人々の中で、勉強と日常生活がスタートします。皆さん初めのうちは悪戦苦闘、大変ですがそこは若さと留学生仲間同士で、すぐに小さな国際社会が出来ます。まさに国際の家そのものです。

近年、大学の留学生受け入れ幅が広がり、以前は2年居住のところを今は1年、短い人は半年で退寮となり、又新しい留学生が国際の家に入寮されます。寮での生活にもやっと慣れてきたところで退寮、新しい寮生のスタートの繰り返しで、留学生の宿舎におけるトラブルも多く聞きます。当国際の家でも、食事の習慣、集会の騒音、その他の問題を寮生会を開き話し合って解決しています。

楽しい行事では、新寮生歓迎会、送別会のミニパーティがありますが、中でもセンターのクリスマス祝会は沢山のご馳走、ケーキ、飲み物でお腹が一杯、クリスチャンでない寮生も、説教、賛美歌、キャンドルサービス、ゲームなどで心も一杯に満たされます。寮生もそれぞれの国の言葉でクリスマスと新年の挨拶や歌を歌います。

勉強とレポートに追われ忙しい毎日を送る寮生にとって、国際の家が少しでも心地よい安らげる場である様に心を配りながら、寮での楽しい思い出と一緒に、日本を好きになって帰国して頂きたく思っています。それぞれの国でのご活躍を願いながら、又いつかお会いできる日を夢見ています。

 (国際の家副所長 志方光代)

■移住労働者と連帯する全国ネットワーク

移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連)は、2001年より富坂キリスト教センター2号館2階の事務所をお借りしています。移住連は、日本で暮らす移住労働者の権利が守られる社会のしくみづくりを目指すNGOです。

日本には、約191万5千人の外国籍市民が暮らしています(2003年末現在の外国人登録者数)。また、超過滞在者数は22万人弱(2004年1月1日現在)、これに、密入国などの形で統計にまったくのってこない人数をいれると、政府発表で、約25万人の在留資格のない移住労働者が暮らしています。

多くの移住労働者は、外国人である、または、在留資格がないという理由で、さまざまな人権侵害を受けています。たとえば、簡単に解雇される、保険に入れないため膨大な医療費が払えない、夫が身体的な暴力をふるうだけでなく妻の文化をバカにする、また、子どもの国籍や教育の問題などがあげられます。移住労働者の人権問題に取り組む多くのNGOや労組、教会関係の組織が各地にあり、これらの組織では、主に、このような移住労働者からの相談を受け、その解決に日夜奔走しています。しかし、相談対応だけでは、その人一人の問題は解決できたとしても、また同じ問題が繰り返され、根本的な問題解決にはいたりません。そこで、このような組織が集まり、移住労働者をとりまく制度・政策そのものを変革していこうとこのような組織が集まってつくられたのが移住連です。

移住連事務局の日常は、情報誌「M-ネット」やブックレットの編集作業やロビー活動などのコーディネート、ネットワークづくりのためのイベントの企画運営を行っています。事務局専従スタッフは一人のみですが、多くのボランティアとともに活動を行っています。富坂キリスト教センターにつながるみなさん、移住連の活動に参加しませんか?

○ブックレット1「まるわかり外国人医療」、ブックレット2「DVと人身売買」 大好評発売中!


■開発教育協会(DEAR:Development Education Association and Resource Center)

2号館3階に、DEARの事務所と「開発教育情報センター」があります。2004年の2月に早稲田から引っ越してきました。ここで6名の職員とボランティア数名が日々仕事に取り組んでいます。またそれ以外にも多くのボランティアの方が、作業の手伝いや会議のため昼も夜も出入りをしています。 DEARは、開発教育を広げ深めるため、政策提言、世界各地の関係団体との情報交換やネットワークづくり、調査研究、情報の収集・発信、地域や学校などでの「学びの場」づくりの支援などの活動を行っています。

具体的には、毎年夏に「開発教育全国研究集会」を開催し、各地で取り組まれている開発教育の研究活動や実践事例の共有を図っているほか、「開発教育入門」「平和」「メディアリテラシー」などのテーマで研修会やワークショップも開催しています。また学校、自治体、社会教育施設などからの講座や研修の企画について相談に応じ、講師派遣も行っています。

「開発教育情報センター」では開発教育関連の図書や教材を収集しています。来訪された方は、DEARの発行した教材や資料をはじめ、日本全国や世界の開発教育関連の資料・教材約1000点を、手にとってご覧いただくことができます。

開発教育を実践しているのは、教員や青少年活動などの教育関係者をはじめ、研究者や学生、そしてNGO・NPO、国際交流協会、自治体などの関連の方々です。それぞれが地域で得た研究・実践経験を共有・交流したり、情報を収集する場としてDEARは活用されています。皆様もぜひDEARにお立ち寄りください。お待ちしています。

○DEARをもっと知りたい方に  ウェブサイト http://www.dear.or.jp

○開発教育ってなんだろう?という方に  『開発教育ってなあに?―開発教育Q&A集』

○開発教育を実践したい!という方に  『ワークショップ版世界がもし100人の村だったら』





シリーズ ひと・ひと・ひとE
  前・NCC宗教研究所 所長   幸日出男 さん

私は、1985年、NCC(日本キリスト教協議会)宗教研究所(1959年4月1日設立)所長に就任し、2004年3月末日をもって退任しました。今回は、この研究所での働きをご紹介しながら、皆様に私の宗教的関心をご紹介できればと思います。

私が研究所の働きを通して大切にしてきたことは、日本キリスト教協議会の加盟教派・団体だけでなく、広く日本のキリスト教界に、「伝統的に根付く宗教、新宗教などを学ぶにあたって、特定の個人、教派だけで理解するのではなく、教派間の相互理解と協力を大切にすること」を呼びかけることでした。それは、日本のキリスト教界が第2次世界大戦後、過去の過ちを繰り返さないために、人権確立、国際平和の推進等のために、戦後から現在にいたるまで大切な諸問題の解決を願い、日本の他宗教との対話と協力を進めることでした。また海外の諸教会との関係作りにも力を入れ、スウェーデン、ドイツ、アメリカなどから専任研究員を受け入れ、研究所の働きに貢献してもらっているのが特徴だと言えます。

日本戦後史の流れの中で研究所の働きの1つをあげれば、1960年代の話になりますが、日本のキリスト教界が一生懸命取り組んだ課題に「靖国問題」がありました。研究所は、その問題に関するゼミナールを主催しました。そこでは神道の人たちと、キリスト者との関係を研究所のゼミナールを通して対話に向けてつないできたことは、1つの成果だったと思っています。

それに関連して昭和天皇が亡くなった時、研究所は仏教者、キリスト者、神道関係者といっしょに、天皇家が歴史的に仏教で葬儀してきたことを学び、歴代の天皇の位牌を直接観る機会を作りました。そのとき私が、研究所の働きを通してキリスト教界の多くの方に呼びかけたことは、天皇家のすべてを神道信仰と結びつけて理解してきた過ちから解き放たれるように、ということでした。自分の信仰の内容、歩み、働きからしか、他宗教を理解しない姿勢、受け止めない頑なさから解放されることを、いつも日常信仰の問題として大切に扱っていきたいと思います。

私が、今までの話を通して、自分の生き方につなげて皆様に伝えたいことは、日本のキリスト教界が、今暴力の撲滅、和解と平和を切に求める時代に入った中、私たちキリスト者が、できるだけ他宗教者との対話、理解を継続していくことだと思います。そして、自分のいのちと、地球上に恵みとして与えられているいのちをいとおしんでいけるようにすることだと思っています。

(インタビュー:木谷英文 日本キリスト教協議会幹事)


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